Bachelor of Science in Holistic Nutrition
米国ホリスティック栄養学士
三箇 龍仁
「来年から国内でフードを作りますよ〜!!」
「???えっ!?」
2007年の秋、
銀座DAXDACHS斜め前の「チャンタオカフェ」でお昼ご飯を食べながら私が巳作オーナーに「国産・ドッグフード」の事を伝えた最初の会話です。
カナダの工場に製造をお願いして製造していた「DDオリジナルフード」も非常に良いフードでした。
しかし、看板犬の「ララ姫」にはあまり魅力的ではなかったらしく食が細いのが私には気がかりでした。
以前よりララの食は細く、2〜3日間、頑固に食べない事も年に2〜3回、そのたびに苦労したものです。
2007年の夏、自宅で飼っていた柴犬ミックスの「ミルク」が16歳で亡くなりました。
「ミルク」は長女が小学生の頃、どうしても「犬」が欲しいと近所のショップ店頭に「差し上げます」の札がかかっていた子です。
「ミルク」が倒れたのは夏の暑い盛り、長女は丁度旅行中、すぐに獣医さんの所へ・・・
長女が帰ってくるのは2日後の午後、意識も無く何時心肺停止してもおかしくない状況の中、次女が床ずれしないように体の位置を変えながら投薬・・・
長女には「おうちに帰る前にTELしてね」とだけメールしました。
長女が帰宅して2時間後、娘達が見守る中、安心しきった表情で「ミルク」は眠るように息を引き取りました。
16年前の晴れた日、「ミルク」をショップから頂いてきた帰りに立ち寄ったハンバーガー屋さんでの長女の本当に、本当に嬉しそうな顔いっぱいの笑顔、カワイイ、カワイイ、と言いながら、おっかなびっくりで触っていた次女の笑顔・・・
千切れんばかりに尻尾を振って娘たちの手の中で喜んでいた子犬の「ミルク」・・・、
彼女はいっぱいの想い出と優しさを私たち家族と「ミルク」に接した多くの方々に残してくれました。
「ミルク」の死は私に看板犬達や「銀座DAXDACHS」のお友達に、少しでも「健康」を維持して「美しく」
「長生き」をして欲しいという願いと、フードの開発を決心させてくれました。
国内のペットフード工場、飼料工場、食品工場にまで「私のレシピによるドッグフード製造」を打診しました。
先ず問題になったのは「全てを人間用の素材で製造する事」でした。
各工場で使用する材料は乾燥した肉や卵、生鮮食品を使用しての製造は非常にコストが高く現実的ではありませんでした。
結局、製造方法、製造機械、全て自分で研究し、応用開発する他ありませんでした。
レストランや家庭で使用するのと同じ肉、米、小麦、食材へのこだわりは使用する「なたね油」や「蜂蜜」、等にも至りました。
人間以上に小さく敏感なWANちゃん達にとって素材は非常に重要です。
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